第1章 星は遠くとも俺たちは近い
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2026年。
宇宙戦艦 YUYAMI号 は、
静かな闇の中を漂っていた。
本来なら、
月へ向かうはずだった航路。
だが現実は、違った。
襲撃のたびに軌道は歪み、
戦闘のたびに帰還ルートは引き裂かれ、
気づけば太陽系の外縁すら、遠い。
地球は、
どこまでも遠くなっていた。
それでも、
船は進んでいる。
理由は、ひとつしかない。
——止まったら、終わる。
⸻
「……来る」
チオが、ぽつりと呟いた。
警報よりも早く、
船内の空気が変わる。
音が、消えた。
エンジンの唸りも、
電子音も、
人の呼吸さえも。
すべてが一度、
宇宙に飲み込まれる。
次の瞬間、
圧力が来た。
爆発ではない。
衝撃でもない。
宇宙戦艦YUYAMI号そのものが、
内側から握り潰される感覚。
床に立っていられない。
身体が、言うことをきかない。
胃が浮き、
視界が歪み、
肺が、思い出したように空気を吐き出す。
「重力波……!」
マークの声が、震える。
計器の数値が暴れ、
操縦桿が、鉛のように重くなる。
「舵……効かねぇ……!」
「止ま、るな……!」
アニンの声は、
圧力に削られながらも前に出た。
「止まったら……終わりだ!」
耐えるだけで精一杯。
意識そのものが、
重さに潰されそうになる。
チオは、目を閉じた。
音じゃない。
光でもない。
——“重さ”が、意志を持って迫ってくる。
その流れの中に、
ほんの僅かな歪みを探す。
「……ある」
かすれた声。
だが、確信があった。
「一瞬なら……私が」
「音術パルスを!」
アラキが即座に反応する。
コントロールパッドを叩き、
出力ドラムスのBPMが跳ね上がる。
「チオ、ここだ!」
チオの感応波が、
音波に重なる。
YUYAMI号の船首が、低く響鳴した。
——音術パルス。
それは、ただの音ではない。
宇宙に干渉するための、
意志を持った音。
重力波の壁に、
ほんの一瞬、隙間が生まれる。
「今だ!」
アニンの叫びと同時に、
マークが操縦桿を引き切った。
危険な脱出経路。
計算すれば、生存率は低い。
それでも——
そこしかない。
「賭けるぞ……!」
船体が、悲鳴を上げる。
その瞬間、
アラキが操作卓を叩いた。
「電磁ジャマー、発射!」
視界が、一瞬、滲む。
追跡反応が、消えた。
重さが、抜ける。
⸻
——刹那。
「ぷふぁあ! 助かった!」
誰かが、息を吐いた。
一同は、顔を見合わせる。
「……やっぱり、
あいつもパワーアップしてるな」
誰かの呟きに、
AIが淡々と応じる。
「アラキが機械を進化させても、
キリがありませんね。
新たな損傷を確認しました」
「おいおい、
このAIは役立たずなのか、
冗談が下手なのか」
束の間、笑いが広がる。
ここがどこなのかも、分からない。
暗い宇宙の只中。
互いを信じるしかない。
自分を信じるしかない。
——帰る約束。
——希望を、手放さずに。
⸻
「……また来る」
チオが、顔を上げた。
次の瞬間、
二度目の重力波。
今度は、早い。
「検知、遅れた……!」
「いや、違う!」
アラキが叫ぶ。
「同じ手は、食らわない!」
反重力スピーカーが起動する。
「持ってきてたのか!?」
誰かの声が重なる。
スピーカーが唸り、
こちらの重力波が、上書きされる。
完全じゃない。
荒い。
危うい。
だが——
確かに、押し返した。
「……いける」
マークが、そう判断してしまった。
舵を切った、その瞬間。
〈警告:直噴スラスター、暴発〉
視界と耳に、警告が走る。
船体が、傾く。
そして——
感知が、消えた。
「敵、消失……?」
違う。
「……見えなくなっただけ」
チオの声が、かすれる。
同時に、
AIの淡々とした報告。
「敵性電磁ジャマー、展開確認」
アラキは何も言わず、
手を動かし操作を続ける。
その時だった。
チオの恐怖が、
波紋のように広がる。
「……来る」
視界の向こうで、
“熱”が、膨らむ。
光じゃない。
炎でもない。
アニンの声が、前に出る。
「直撃だけは、避けろ」
マークが歯を食いしばる。
「動かねえんだよ……!」
——熱塊放射。
その威力は、
自分たちがよく分かっている。
瞬く間に、
終わりが、やってくる。
闇は深く、
星は遠い。
だが——
俺たちは、近い。
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第1章・了
第2章 マイカフォン波動砲
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黒い船から、熱が放たれた。
光ではない。
炎でもない。
熱そのものが、空間を満たす。
何度も使われてきた、強力な兵器。
「来る……!」
チオとションが、ほぼ同時に声を上げた。
二人は向かい合い、
息を合わせる暇もなく、
音術パルスを重ねる。
音術パルス・バリアハーモニクス。
響き合う波が、
熱の奔流にぶつかる。
完全には止められない。
だが——
半減した。
次の瞬間、
YUYAMI号の内部は地獄になった。
空気が焼ける。
床が熱を持つ。
壁に触れただけで、皮膚が引きつる。
「サウナってレベルじゃねぇぞ……!」
マークの声が掠れる。
汗が目に入り、
呼吸が、重い。
それでも——
バリアは、維持されていた。
「時間が欲しい!」
アラキが叫ぶ。
「できれば——三時間」
その数字は、
無理だと思いたくなるほど長かった。
「三時間、もたせる」
アニンの声は、冷静だった。
「全スプリンクラー起動!
全員マスク!
水蒸気爆発を利用する!」
「っ、了解!」
アラキは制御卓を開き、
次々と安全装置を解除していく。
「新しいものを作るわけじゃない」
「じゃあ、何をする」
「……全部、繋がないようにする」
アニンは、一瞬戸惑った。
「大丈夫だ。
船の力を、解放する」
⸻
その間、
時間を稼ぐ者たちがいた。
「船外、出るぞ」
ヨウスケが言う。
インシュンが、無言で頷いた。
小型艇が、
YUYAMI号から切り離される。
真っ黒な敵影が、
そこにあった。
距離を詰める。
発光弾を連射する。
だが——
敵の表面は、
光を吸い込むように歪む。
「……中、空っぽじゃねぇか?」
ヨウスケが呟いた、その瞬間。
音が、叩きつけられた。
音術パルス。
だが、質が違う。
インシュンの視界が、裏返る。
「……っ、あ——」
言葉にならない声。
意識が、滑り落ちる。
「インシュン!」
強制帰還。
荒い操縦。
乱れる呼吸。
YUYAMI号に戻った時、
インシュンの意識は、朦朧としていた。
⸻
その間も、
音術パルスによるバリアは張られ続けていた。
三時間。
チオの視界は赤く滲む。
ションの膝が、震える。
「……まだ?」
「……もう少し」
アラキの声は、遠い。
限界が、近い。
そのとき——
敵が、消えた。
「……?」
一瞬の安堵。
だが、チオは首を振る。
「見えなくなっただけ……」
遅れて、AIが告げる。
「敵性電磁ジャマー、再展開」
——視界が落ちる。
レーダーが沈黙し、
距離も、数も、意味を失う。
次の瞬間。
空間が、再び重くなる。
「……来る!」
チオの声が掠れる。
重力波。
感知不能のまま、
圧だけが叩きつけられる。
YUYAMI号が、悲鳴を上げる。
「このままじゃ——!」
「反重力スピーカー、起動!」
低い唸り。
船体全体が、震える。
完全な相殺ではない。
だが、潰されない程度には、押し返す。
空間が、沈黙する。
——次の熱塊放射が来る。
音術バリアは、
もう持たない。
アラキが、呟いた。
「……始まる。
波動マイカフォン」
アニンが叫ぶ。
「波動マイカフォン!?
危険なアーティファクトじゃないか!」
アラキは、ニヤリと笑った。
「この船自体が、
波動マイカフォンだ」
賭けるしかない。
チオ。
ション。
意味を失った言葉を口走るインシュン。
装置の中で、
船と身体を接続する。
肉体が、
精神が、
軋み声を上げる。
——波が、重なる。
心拍。
呼吸。
意志。
船が——鳴った。
出力上昇。
10%……
50%……
70……
80——
「これ以上は無理だ!」
誰の声だったか、分からない。
出力80%。
それ以上、
人は耐えられなかった。
——次の瞬間。
敵影は、
消滅した。
直径10メートルを超える、
凄まじいエネルギー出力。
爆発はない。
残骸もない。
ただ、
黒い船は——
消えていた。
静寂。
チオの身体は、燃えるように熱い。
ションは、明らかな脱水症状。
インシュンは、意味のない言葉を呟いている。
他の面々も、
立ち上がれないほど疲弊していた。
誰かが、言った。
「……次は」
誰も、続きを言わなかった。
次は、
あれが来るかもしれない。
マイカフォン波動砲。
想像力が、
未来となって牙を剥く。
アニンは、決断した。
「降りる」
近くの惑星。
条件は悪くない。
だが、安全かどうかは、分からない。
それでも——
自分たちを写す黒い船から、距離を取れる。
「回復が必要だ」
それだけ言って、
進路を指示した。
YUYAMI号は、
ゆっくりと、降下を始める。
宇宙は、まだ静かだった。
だが——
終わってはいない。
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第2章・了
第3章 SPACE COWBOY 〜前編〜
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その星は、昼間でも紫色の空だった。
遠くに、オレンジ色が広がっている。
夕焼けみたいなのに、
時間が、動いていない。
YUYAMI号は、低く唸りながら着陸した。
「……空気、吸える」
チオが言う。
喉の奥が、少しだけ焼けた。
「あまり吸い込まない方がいいな」
アニンはヘルメットを外す。
「煙突街より、少しマシなくらいだ」
マークは答えない。
地面を一度、踏みしめた。
——軽い。
重いよりは、まだ生き残れる。
ヨウスケが、音を拾う。
「……静かすぎる」
その瞬間だった。
地面が、鳴りだした。
うじゃうじゃした塊が、蠢く。
津波みたいに、距離が消える。
複眼。
節だらけの脚。
硬質な外殻。
「っ、虫!? インセクトか!」
次の瞬間、
酸のような唾液が飛んだ。
弧を描く。
触れた地面が、音もなく沈む。
金属が、溶ける。
「……拡散型か」
アニンは、撃たなかった。
その奥を見る。
群れの中心。
半拍、遅れて動く個体。
「——あれだ」
言霊。
『固いゲンコツ』
念写で、一撃。
頭目が沈む。
次の瞬間、
酸が止まった。
群れが、止まる。
判断が、消える。
「やっぱりな」
マークが吐き捨てる。
「統率者を潰せば、終わる」
残ったインセクトは散り、
YUYAMI号の周囲に、静寂が戻った。
ヨウスケが、息を吐く。
「……この星、
二つの音が、擦れてる」
アニンはもう、街の方を見ていた。
「歓迎は、されてないな」
⸻
街は、城壁みたいに閉じていた。
だが、生活の匂いはある。
三人が進むと、
単眼の存在が現れた。
サイクロプス。
大きな目。
動きは遅い。
だが、怯えがない。
——撃った。
マークの指が、先に動く。
音撃銃の音が、街に伸びた。
サイクロプスは倒れない。
だが、数コンマ、動きが止まる。
アニンが、一歩前に出る。
銃を下ろす。
言霊。
『直噴』
空気が、ずれる。
サイクロプスの思考が、
煙みたいに散る。
立ったまま、
ぼうっとしている。
「……おい、草吸ったじじいみたいになってるぜ」
マークが、ぼそりと言った。
ヨウスケが、息を吸う。
「……違う?何だ?」
二丁の音撃銃を下げる。
「逃げろって言ってる」
サイクロプスは、攻撃してこなかった。
代わりに、短い音。
ヨウスケが、訳す。
「……この星には、
俺たちみたいなのが二ついる」
「複眼のやつらと、俺たち」
「均衡が、薄れてる」
アニンが、顔を上げる。
「船に戻れ、って?」
サイクロプスは、ゆっくり頷いた。
「……今は、危険だ」
——話は、通じた。
⸻
その瞬間、
通信が割り込む。
〈船外接近反応〉
〈複数〉
マークの足が、止まる。
「……インセクトだ」
次の警告。
〈内部区画、突破〉
アニンが、息を吸う。
「アラキ」
ノイズ。
音が、潰れる。
「……インシュンが——」
途切れる。
沈黙。
次に聞こえたのは、
叫びじゃなかった。
「……連れて行かれた」
通信が、落ちる。
紫の空。
オレンジの地平。
美しすぎる。
誰も、言葉を探さない。
三人は、同時に走り出した。
銃を下ろせる相手は、いた。
だが——
引き金を止めない何かが、いた。
⸻
第3章・了
第4章 SPACE COWBOY 〜後編〜
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走りながら、
アニンは一度も振り返らなかった。
後悔は、後でやる。
今は、前だけを見る。
紫の空が低く、
オレンジの地平が歪む。
「……位置は?」
ヨウスケが走りながら音を拾う。
「下だ」
息を切らさずに言う。
「地面の奥。
……城みたいな形してる」
「巣か」
マークが歯を鳴らした。
怒っている。
だが、もう荒れてはいない。
冷えた怒りだった。
⸻
城は、門を持たなかった。
星の表皮が、
裂けている。
穴の縁は城郭の形をしている。
だが、石じゃない。
触れれば冷たい。
踏めば、鈍く鳴る。
——生きている。
「行くぞ」
返事はない。
三人は、そのまま落ちた。
⸻
重力が、軽い。
一歩が伸びる。
跳躍が、意図せず浮く。
天井から、
何かが落ちてきた。
複眼。
節足。
硬い殻。
インセクト。
ヨウスケが、
二丁の音撃銃を上げる。
一発目。
当てる。
二発目。
流す。
音が、一直線に伸びた。
反響しない。
散らない。
複眼の中心が、砕ける。
「数が多い!」
酸の唾液が飛ぶ。
床が沈む。
壁が溶ける。
「……面で来るな」
マークが動いた。
バイオガスコントロール。
空気が、逃げ道を失う。
インセクトが、吐けなくなる。
「今だ」
アニンが前に出る。
言霊。
『影縫い』
影が、床に縫い止められる。
群れの動きが鈍る。
——だが、止まらない。
多すぎる。
城の奥で、
拍動が強くなる。
「……チッ」
マークが歯を食いしばる。
一回だけだ。
リズムコントロール。
城の鼓動と、
インセクトの動作がズレる。
半拍。
それで、十分だった。
三人は走る。
⸻
静かな部屋だった。
音がない。
反響もない。
中央に、
吊られているものがある。
インシュン。
拘束じゃない。
固定。
観測。
目は、開いている。
「……生きてる」
アニンは、銃を下げない。
「まだだ」
壁が、ずれた。
小型のインセクトが、
数を揃えて滑り出る。
「俺が抑える」
マークが一歩前に出る。
止めない。
振り返らない。
環境を、踏み潰す。
インセクト同士が、
互いを誤認する。
絡まり、倒れる。
アニンが言霊を刻む。
『ほ解け』
空間が、緩む。
拘束が、ほどける。
ヨウスケが跳ぶ。
低重力を使い、
宙を蹴る。
インシュンを抱えた瞬間——
部屋が、鳴った。
観測終了。
インセクトが、動きを止める。
そして、退いた。
理由は分からない。
だが——
用は終わったと判断した。
⸻
逃げる途中で、
音が変わった。
さっきまでの拍動じゃない。
もっと、遅くて、深い。
「……待て」
マークが足を止める。
「城の、中心だ」
円形の空洞。
高い天井。
中央に、
花みたいなものが浮いている。
金属でも、生体でもない。
淡く、光っている。
インシュンが、かすかに言った。
「……それ……
連れて、行け」
アニンが、銃を下げる。
「武器じゃない」
マークが、手を伸ばす。
——触れた。
城が、止まった。
拍動が、消える。
インセクトの気配が、
一斉に遠ざかる。
「……治療だな」
「戻すやつだ」
アーティファクトが、
選ぶ。
マークの手に、従う。
いや——
選んでいる。
三人は、走った。
⸻
船内。
アーティファクトは、沈黙している。
光は弱く、
脈もない。
「……動かねぇな」
アラキが言う。
「治療系なんだろ?」
マークが、苛立ちを隠さない。
チオは、首を振った。
「……違う」
「これは、
治すものじゃない」
インシュンが、目を閉じたまま言う。
「……ここ……
声が、足りない……」
その時だった。
ハッチの外で、
短い音がした。
サイクロプスたちが、
船の外に立っていた。
単眼が、
アーティファクトを見ている。
敵意はない。
だが、無関心でもない。
——見届けに来た。
アニンが、一歩前に出る。
「……これは、
俺たちが持って行く」
サイクロプスは、否定しない。
代わりに、低い音。
ヨウスケが訳す。
「……奪うな」
「……選ばれたなら、いい」
沈黙。
誰も、触らない。
誰も、命令しない。
アニンが、ぽつりと言った。
「……花、みたいだな」
視線が集まる。
「名前が、要る」
アニンは、はっきり言う。
「フラワーだ」
その音が、船内に落ちる。
「フラワー……」
チオが呼ぶ。
「フラワー」
ションが続く。
「……フラワー」
インシュンが息を吐く。
マークも、
ヨウスケも、
アラキも。
それぞれの声で、
同じ名前を呼ぶ。
——その瞬間。
フラワーが、揺れた。
光が、呼吸を始める。
根のようだったものが、
花弁に変わる。
一歩。
また一歩。
歩いた。
サイクロプスが、
静かに目を伏せる。
フラワーは、
迷わず、
チオの前に来る。
次に、
ション。
そして、
インシュン。
触れた場所から、
熱が引いていく。
音が、戻ってくる。
チオが、しばらく天井を見つめてから言った。
「……お腹すいた」
誰も、笑わなかった。
代わりに、
全員が生きていることを思い出した。
⸻
警告音。
船外接近反応。
複数。
インセクト。
離陸準備。
酸が、飛ぶ。
フラワーが、鳴った。
強くない。
だが、確かだ。
選択の音。
インセクトが、止まる。
その隙に——
「離陸!!」
YUYAMI号が、空を裂く。
紫が遠ざかる。
オレンジが縮む。
最後に、
サイクロプスの音が届いた。
「任せろ」
船は、宇宙へ。
誰も、振り返らなかった。
前に進む音だけが、
そこにあった。
⸻
第4章・了
第5章 胸が爆発するほど
⸻
艦内は、静かだった。
警報は鳴っていない。
振動も少ない。
床の金属が、やけに優しい。
フラワーが、通路を歩いている。
誰の命令も受けず、
誰の邪魔もせず、ただそこにいる。
「……かわいい」
チオが言った。
ションが応える。
「ずっと見てられる」
フラワーは返事をしない。
代わりに、小さく鳴いた。
その音が、艦内に溶ける。
ぎりぎりの戦いが続いた日々の中で、
その溶け方だけが、平和だった。
こんな時間が、
永遠に続けばいいと、
誰もが一瞬だけ思った。
⸻
インシュンが目を覚ましたのは、その直後だった。
「……ん」
起き上がった瞬間、
全員が一度、固まる。
「……おい」
「増えてない?」
「目、三つあるぞ」
額の中央、
閉じていたはずの三つ目が、ゆっくり開く。
インシュンは一瞬だけ、
遠くを見るような顔をした。
まるで、
まだ帰ってきていない何かを
見ているようだった。
それから、ため息をついて目を閉じる。
三つ目が消えた。
「……ふだんは閉じとけばいい」
アニンが言う。
「必要な時だけ、開け」
「……了解」
それで終わった。
笑いが起きる。
「便利そうだな」
「いや怖えよ」
「慣れるって」
緊張の残骸が、
軽い冗談で砕けていく。
インシュンの足元で、
フラワーが揺れた。
人気者だった。
⸻
操縦席の横で、
アラキが配線をいじっていた。
手は止まらない。
「……奪還作戦中、ずっと改造してた」
誰に言うでもなく、
ぽつりと口に出す。
「船が動く時間があるなら、
改造するしかないだろ」
マークが眉を上げる。
「お前、寝てた?」
「寝てたら死ぬ」
アラキは笑う。
笑い方が、いつもより乾いていた。
「黒い船はもう怖くない」
「構造も癖も、だいたい掴んだ」
チオが、ちらっと見る。
「……勝てる?」
アラキは、少しだけ間を置いた。
「対応できる」
その言葉に、
誰も突っ込まなかった。
⸻
その瞬間。
警告。
〈未確認影〉
〈接近〉
宇宙の暗闇に、
黒が浮かぶ。
「……来たな」
ヨウスケが低く言う。
黒い船。
YUYAMI号と同じ形。
同じ輪郭。
同じ沈黙。
だが、
あっちは音がない。
会話を待たず、
黒い船は充填を始めた。
「……マイカフォン波動砲」
チオの声が細くなる。
「隙だらけだ!」
マークが叫ぶ。
「止める!」
チオが手を上げる。
音術パルス。
「乗せる!」
「私も!」
ションが重ねる。
二つの波が、宇宙に走る。
充填が乱れる。
「止まった!」
アラキが迷わず叩く。
「拡散熱粒子線、発射!」
直線じゃない。
逃げ場を消す、面の光。
黒い船は、
音もなく消滅した。
爆発はない。
残骸もない。
ただ、
黒が抜け落ちた。
艦内に、
一拍の静寂。
「……は?」
ヨウスケが笑う。
「消えた?」
「消えたな」
マークが座り込む。
「……勝った?」
アラキが肩で息をした。
「言ったろ。
対応できるって」
だが、その笑いは長く続かなかった。
ヨウスケが、ぽつりと言う。
「改造するのはいいけど……」
全員が見る。
「次、相手しなきゃいけないのがなあ……」
沈黙。
アニンが、前を見る。
「次が来る前に、進路――地球」
その一言で、
空気が変わった。
「地球……」
その言葉だけで、
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
アラキが、にやりと笑う。
「ワープを成功させてやる」
マークが茶化す。
「いつもどこ飛ぶかわからねえじゃねえか」
笑いながらも、
誰も失敗を想像しなかった。
⸻
ワープ準備。
船体が、低く鳴る。
「……不安?」
チオが聞く。
ションは首を振る。
「不安じゃない。
……怖い」
その違いを、
全員が理解していた。
その時、
インシュンが立ち上がる。
「……俺が重ねる」
三つ目が開く。
「ワープに、音術パルスを」
アラキが目を見開く。
「そんなこと、できるのか?」
チオが息を吸う。
「私も重ねる」
ションが続く。
「私も力になる」
音が、重なる。
「行くぞ!」
歪み。
圧縮。
解放。
——成功。
視界が戻る。
月の裏側。
「……ここ」
「初めてワープした場所だ」
アラキが言う。
月が、ゆっくり動く。
その向こうに――
地球。
青い。
ただ、それだけで
胸が詰まる。
言葉が、
追いつかなかった。
誰も言葉を出せない。
「……帰ってきた」
その声が、
震えた。
喜びなのか、
安堵なのか、
それとも、
遅すぎたという思いなのか。
フラワーが鳴く。
小さな拍手みたいに。
⸻
警告。
黒い影船。
再び。
「……来た」
先制。
拡散熱粒子線。
——避けられる。
「予想通りだ!」
重力波、補足。
コスモスラスター。
背後へ――
捕まる。
敵の重力波。
「……っ!」
敵船には、
肉体がない。
だから、
こちらの方が苦しい。
膠着。
動けない。
背後には、
地球。
黒い船が、
充填を始める。
「……当たる」
避ければ、地球。
その時。
通信が入る。
ノイズの向こう。
『I have a dream』
地球の声。
チオが泣く。
「……夢は」
アニンが叫ぶ。
「出力、上げろ!」
「限界だ!」
「限界を超えろ!」
マイカフォンが鳴る。
80%。
90%。
100%。
それでも足りない。
フラワーが鳴く。
全員が、限界を越える。
音が、重なる。
120%。
胸が、爆発しそうだった。
それでも、
撃たなければならなかった。
白。
音。
世界が、裏返る。
⸻
第5章・了
第6章 We will not give up singing
⸻
宇宙は、静かだった。
白も、黒も、
爆発も、警報も、
すべてが遠ざかっていく。
音は消えたのではない。
距離を取っただけだった。
宇宙戦艦YUYAMI号は、
ただ流れていた。
推進音はある。
だが、それは進軍の音じゃない。
帰還の音でもない。
鼓動に似た、
呼吸に近い音だった。
⸻
地球は、もう見えなかった。
ほんの少し前まで、
あれほど確かだった青は、
闇の向こうへ溶けていった。
誰も、振り返らなかった。
振り返れば、
そこに名前を付けてしまいそうだったからだ。
失ったものに。
守れたものに。
⸻
「……なあ」
ヨウスケが、
操縦席の後ろで言った。
声は低く、
冗談とも本気ともつかない。
「俺たちさ」
一拍、間を置く。
「一体どこ、走ってんだ?」
誰も、すぐには答えなかった。
答えがないことを、
全員が知っていた。
そして、
答えがなくても進めることも。
⸻
マークは壁に背を預け、
腕を組んだまま天井を見る。
「だいぶブッ飛んじまったようだな」
それは状況の話でも、
自分たちの話でもあった。
「船自体は、損傷ないぜ」
そう言って、
いつものように葉巻に火を付ける。
煙が、
艦内に細い線を描いた。
⸻
チオは、
通信卓の前に座ったまま、
小さく息を吸う。
「皆が無事でよかった…」
それは祈りではなかった。
確認だった。
「地球…大丈夫だったよね」
希望的観測ではない。
確信に近い。
「私たち、止まってないよね」
その一言が、
艦内にゆっくり広がる。
止まっていない。
進んでいる。
まだ、
船は動き続けている。
⸻
アラキは操縦席で、
いつものように計器を眺めていた。
だが、
今は数値を見ていない。
「俺たちの道は…」
一瞬、言葉を探す。
「後ろにできている…」
誰かが笑った。
それでいい。
それがいい。
⸻
インシュンは、
額の三つ目を閉じたまま、
静かに言った。
「……聞こえなくなった」
アニンが、横を見る。
「何がだ」
「黒い船の音」
誰かが、
大きく息を吐いた。
⸻
音。
戦闘の音。
怒りの音。
悲鳴の音。
それだけじゃない。
笑った時の音。
黙った時の音。
生き残った時の音。
全部が、
まだここにある。
⸻
フラワーが、
通路の真ん中で止まった。
そして、
小さく鳴く。
命令でも、
警告でもない。
確認みたいな音。
——ここにいるか?
——まだ、鳴っているか?
誰も答えない。
だが、全員が応えた。
心拍が、
呼吸が、
意識が。
⸻
アニンが、
ゆっくり立ち上がる。
軍人だった男の背中は、
今はどこにも向いていない。
ただ、
仲間の方を向いている。
「戦いは、終わった」
「でも、
俺たちは終わらない」
それだけだった。
それで、十分だった。
⸻
ヨウスケが、
にやっと笑う。
「じゃあさ」
「答えは、これでいいだろ」
全員の視線が集まる。
少し照れたように、
でもはっきりと言う。
「天の川を流れてるのさ」
一瞬、
静寂。
それから、
誰かが息を吐く。
誰かが笑う。
誰かが、
目を閉じる。
⸻
宇宙戦艦YUYAMI号は、
今日も前へ進む。
どこへ行くのかは、
誰も知らない。
だが、
一つだけ確かなことがある。
歌っている限り、
止まらない。
音を鳴らしている限り、
消えない。
⸻
We will not give up singing.
それは誓いじゃない。
命令でもない。
ただの、
事実だ。
⸻
第6章・了
第3部・了