第1章 出会う者たち
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煙突街の夕方は、いつも判断を保留する。
昼が終わったのか、夜が始まったのか、誰にも分からない。
工場の排気が空に溶け、赤くなりきらない夕焼けが街を覆っていた。
煙突は今日も働いている。人もまた、同じように。
シャッターを半分下ろした工房で、アニンは工具を拭いていた。
油の匂い。鉄粉。遠くで鳴り続ける稼働音。
この街は、止まらない。止まらないことだけが、救いになる夜がある。
ノックの音は控えめだった。
叩く側が様子を測っている音だ。
「開いてる」
返事はない。
代わりに、何か重いものを引きずる音がした。
振り返ると、男が立っていた。
痩せているが体の芯は緩んでいない。
目だけが落ち着きなく周囲を測っている。
「……これ、直せるか」
床に置かれたそれは、スピーカーのような形をしていた。
だがアニンは一目で違和感を覚えた。
音響機器にしては配線が多すぎる。
構造が過剰で、用途が一つに収まっていない。
素材も、見慣れない。しかも——壊れている。
「名前は」
「マーク」
それだけ言って、男は黙った。
アニンはしゃがみ込み、装置に触れた。
その瞬間、胸の奥で小さな警鐘が鳴る。
重さがおかしい。
金属の反発が、知っているどの素材とも違う。
分解する。配線を追う。構造を読む。
——読めてしまう。
理解できる。
だが、その理解の仕方がどこかズレている。
(見たことはない……)
それなのに、「知らない」と言い切れない。
「直せる」
自分の声が、思ったより低く響いた。
マークは短く息を吐いた。
「鳴る?」
アニンは答えなかった。
代わりに、作業を続けた。
時間は、煙突街らしく流れた。
早くもなく遅くもなく、ただ“働く速度”で。
数時間後、装置は形を取り戻していた。
歪みは消え、回路も整っている。
だが——鳴らない。
マークは何度もスイッチを確かめた。
叩き、角度を変え、電源を落とす。
「壊れてない」
アニンは言った。
「でも、鳴らない」
沈黙が落ちる。
マークはポケットから小さな袋を出し、作業台に置いた。
乾いた草の匂いが広がる。
「修理代だ」
「いらない」
「……理由は?」
アニンは装置から目を離さずに答えた。
「俺は、これを“使う段階”まで責任を持てない」
マークは少しだけ笑った。
「……あんた、軍にいたんだろ」
アニンの手が、一瞬止まる。
「人生、色々ある」
「組織なんて、どこも腐ってる」
それ以上、踏み込まなかった。
だがマークは確信していた。
——この男は引き金を引いたことがある。
アニンの中では、別の感覚が芽生えていた。
鳴らない理由を感覚で終わらせてはいけない。
理屈で否定できるなら、今のうちに潰す。
だから——行く先は一つしかなかった。
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夜。
煙突街の住宅街は、工場の灯りだけが規則正しく瞬いていた。
「……ここだ」
アニンは足を止めた。
大学教授の家。
昔、何度も読み返した論文の著者。
人類の未知遺産、再現できない装置、そして——使われた痕跡。
理屈で否定できるなら、ここで終わらせたかった。
インターホンを押す。
扉が開いた。
出てきたのは、教授ではなかった。
若い女性だった。
「……チオ、お客さんかい?」
家の奥から、誰かが彼女の名前を呼んだ。
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第1章・了
第2章 反重力スピーカー
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家の中は、音が少なかった。
静かというより、音を抑え込んでいる空間だった。
本棚に囲まれた書斎で、チオの父は二人を迎えた。
机の上には論文の束と、書き込みだらけのノート。
世界中で引用される、愛の研究。
感情を定義し、衝動を整理し、人が人を想う理由を理屈に落としてきた第一人者。
父は装置を一瞥しただけで視線を逸らした。
アニンが一歩、前に出る。
「反重力スピーカーだろ」
父の眼鏡の奥で、視線がわずかに揺れた。
「鳴らない理由を知りたい」
マークは壁にもたれ、腕を組んでいる。
興味がなさそうな顔のまま、会話の出口だけを探していた。
「構造は理解できる。修復もできた。
それでも鳴らない」
父は深く息を吐いた。
「……その名前を、どこで知った」
「論文で」
アニンは即答した。
「人類の未知遺産。再現不能。使用条件が人間側に依存する音響装置」
父は眼鏡を外し、机に置いた。
「鳴らない方がいい」
即答だった。
「再現性がない。検証不能。責任を負える主体が存在しない」
指で論文を叩く。
「こういうものは、発見された時点で終わらせるべきだ」
アニンの胸に、わずかな安堵が広がる。
理屈が、ここにある。
だが——
「じゃあ、なんで書いた」
マークが唐突に口を挟んだ。
父は視線を落とした。
「……書いてしまった」
「存在を、消せなかった」
沈黙が、重く落ちる。
廊下の奥で足音がした。
チオだった。
彼女は装置を見ない。
見ないまま、空気の違和感だけを拾う。
「……近づくな」
父の声は、ほんの少しだけ強かった。
「それは、君が触るものじゃない」
「どうして」
問いは、単純だった。
「危険だからだ」
「それだけ?」
父は言葉を探す。
「感情に委ねるものじゃない」
チオの眉が、わずかに歪む。
「じゃあ」
声が震えた。
「私が感じたのは、何?」
父は視線を逸らした。
「……それは愛じゃない」
正しかったかもしれない。
だが、届いてはいけない場所に届いた。
チオは何も言わず、家を出た。
理屈だけが、部屋に残った。
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煙突街の夜は、まだ完成していなかった。
工場は働き続け、空だけが止まっている。
チオは歩く。
行き先を決めたわけじゃない。
頭に残っているのは、二人の男の輪郭。
背が高く、顔に傷のある男。
そして、危ない匂いのする男。
小さな酒場に入る。
仕事終わりの人間で、空気が濁っている。
「あの……」
視線が集まる。
「背が高くて、顔に傷のある人と、
もう一人……危ない感じの男、知りませんか」
一瞬の沈黙。
「ああ」
「工房のやつらだ」
「夜になると、変な機械いじってる」
チオは礼を言い、店を出た。
怖さはなかった。
行くべき場所を、もう知っている感覚だけがあった。
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一方、工房では空気が張りつめていた。
反重力スピーカーは、作業台の中央に置かれている。
完全に直っている。
それが、余計に不気味だった。
アニンは触れない。
工具を片付ける順番が、やけに丁寧だ。
「鳴らないな」
マークが言う。
「鳴らさない」
アニンは即答した。
「違いがあるのか」
「ある」
説明はしない。
マークは装置から目を離さない。
壊れたものを見る目じゃない。
起きると分かっている事故を待つ目だった。
扉が開く。
チオが入ってくる。
視線が、一直線に装置へ向かう。
名前も、理屈も、評価もない。
「近づくな」
アニンの声は低かった。
だが、チオは止まらない。
吸い寄せられるように、装置の前に立つ。
言葉はない。
代わりに、息が、声になる。
歌おうとしたわけじゃない。
溢れてしまっただけだった。
——その瞬間。
音より先に、重さが消えた。
埃が落ちない。
工具が浮く。
空間が、一拍遅れる。
「……来たな」
マークが呟く。
「止めろ!」
アニンが叫ぶ。
だが、遅かった。
音が、追いつく。
それは轟音でも、旋律でもない。
選択の音だった。
煙突街の影が、ありえない角度で壁に伸びる。
工房の外で、誰かが立ち止まる。
街が、気づき始めていた。
反重力スピーカーは、完全に起動した。
誰かが鳴らしたわけじゃない。
揃ってしまったのだ。
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第2章・了
第3章 アニンの星
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司令室の扉が、音を立てて開いた。
誰も、死んだはずの人間が入ってくるとは思わなかった。
煤にまみれ、血に濡れ、
それでも——立っている。
「……生きていたのか」
誰かが呟いた。
アニンは答えなかった。
歩みを止めず、司令室の中央まで進む。
あの声の主が、そこにいた。
「死んでも退くな」
命令でも、叱責でもない。
見捨てられたのだ。
上官は言葉を探しているようだった。
正当化か、説明か、あるいは謝罪か。
どれも、遅かった。
拳が飛んだ。
乾いた音が司令室に響き、
上官は椅子ごと倒れた。
誰も止めなかった。
止める理由が、どこにもなかった。
アニンは一言だけ発した。
「保身に逃げたクソ野郎が。」
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戦場は、すでに地獄だった。
瓦礫。炎。黒煙。
さっきまで声を出していた場所に、もう誰もいない。
部下たちは、全員死んでいた。
ひとりだけ、まだ息のある中佐がいた。
腹部を押さえ、血を吐きながら、アニンを見上げる。
アニンは何も言えなかった。
命が消える寸前の笑み。
「中佐は……生き残って……ください」
それは戦場に残された声、
願いだった。
その直後、目の光が消えた。
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結果として、アニンは生き残った。
理由は分からない。
運でも奇跡でもない。
ただ、生き残ってしまった。
願いを、受け取ってしまった。
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軍を離れたあと、アニンは煙突街に流れ着いた。
理由はない。
仕事があった。
それで十分だった。
この街は過去を問わない。
名前も階級も、なぜ生きているかも聞いてこない。
昼は働いた。
黙って体を動かし、音に身を預ける。
夜になると、拾ったガラクタをいじり倒した。
壊れたラジオ。
曲がった鉄。
用途不明の部品。
直す意味はない。
完成させる必要もない。
ただ——
手を動かしている間だけ、
名前を呼ばずにいられる。
夜に、
沈んでゆきながら。
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第3章・了
第4章 チオの星
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退院の手続きは、淡々としていた。
名前を呼ばれ、書類に署名をして、
「無理はしないでください」と言われる。
病院の廊下は、少し白すぎる。
外に出ると、夕方だった。
煙突街の空は、まだ終わっていない。
チオは歩き出す。
足取りは軽いが、胸の奥は忙しい。
感じすぎる。
それだけで、人は壊れかける。
声の調子。視線の向き。
言葉に含まれた躊躇や期待や嘘。
それらが一度に流れ込むと、
考える前に身体が反応してしまう。
だから、時々ここに戻ってくる。
入院と退院を、季節のように繰り返す。
治すというより、距離を取り直すために。
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幼いころ、ピアノは得意だった。
鍵盤に触れると、音は迷わず出てくる。
コンクールで優秀賞を取ったとき、周囲は「才能だ」と言った。
壇上に立ち、拍手を浴びた瞬間、チオは違和感を覚えた。
音が、誰かに見せるためのものに変わっていく。
評価。点数。順位。
音楽が、外に向いてしまう。
それが、怖かった。
歌も同じだった。
上手いねと言われるたび、声が少しずつ遠ざかる。
好きなものが、交換可能な価値に変わっていく。
だから、声は出たり出なかったりする。
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家に戻ると、灯りは控えめだった。
父は書斎にいる。
分かっている。
本棚。論文。書き込みだらけのノート。
愛。感情。共鳴。
理屈は、理解できる。
だが、少し遠い。
それでも、人と話しているよりは楽だった。
紙の上では、感情は暴れない。
定義され、枠に収まり、声を上げない。
チオはページをめくる。
外で工場の音が続いている。
街は今日も働いている。
それだけが、確かだった。
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ただ、
溢れそうなもの。
それが何なのか、
まだ名前はない。
チオは灯りを落とした。
眠れない夜を過ごすことに慣れている自分がいる。
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第4章・了
第5章 マークの星
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退院手続きは、驚くほど簡単だった。
名前を呼ばれ、
書類に署名をして、
「ご協力ありがとうございました」と言われる。
病院ではない。
人体実験施設だった。
マークは白い廊下を歩きながら、
腕に残る注射痕を眺めた。
痛みは、もうない。
違和感も、すぐに消える。
金は、すでに振り込まれている。
それで十分だった。
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昔は、ドラッグを売っていた。
理由は単純だ。
需要があり、供給できた。
善悪は考えなかった。
考える必要がなかった。
買うかどうかは、
向こうが決める。
自分は、渡すだけだ。
やがて、売るだけでは足りなくなった。
運ぶ。
護る。
撃つ。
気づけば、
傭兵と呼ばれる仕事をしていた。
今も、そうだ。
だが——
何が本業なのかは、分からない。
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今回の依頼は、妙に懐かしかった。
依頼主は組織。
財団と名乗っていたが、
名前はどうでもよかった。
「昔、売ってたんだろ?」
面談室で、男は言った。
「今でも、用意できるよな」
マークは笑った。
「金次第だ」
条件は単純だった。
ブツを用意する。
見返りに、
まとまった金。
マークは動いた。
古いルートを掘り起こし、
古い感覚で、ブツを揃えた。
取引は成立した。
——はずだった。
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支払われた金は、半分だけだった。
理由はない。
説明もない。
マークは文句を言わなかった。
怒りもしなかった。
期待していなかった。
その代わり、
場所を調べた。
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夜。
施設に侵入する。
警備は厳重だったが、
慣れている。
研究棟。
隔離区画。
封鎖された通路。
地下に降りる。
そこで、
マークは“それ”を見つけた。
配線は焼け、
外殻は歪み、
それでも——
ただの廃棄物には見えなかった。
マークは装置に触れた。
冷たい。
だが、死んでいない。
鼓動はない。
だが、終わってもいない。
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その瞬間、
彼は理解した。
金はいらない。
説明もいらない。
未来も、
責任も、
信じる理由もいらない。
これは、面白そうだ。
それだけで、
十分だった。
マークは装置を見下ろす。
「これをもらっていこう」
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第5章・了
第6章 発動 MOONSHOT
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最初に変わったのは、音だった。
反重力スピーカーは、合図を待たなかった。
スイッチも、指示も、祈りもいらない。
音より先に、重さが消えた。
床が、壁が、街が、ほんの一瞬だけ思い出す。
——落ちなくても、いい存在だったことを。
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煙突街の夜は、まだ完全じゃなかった。
工場は止まらない。排気は続いている。
それでも、人の足音が消えた。
誰かが立ち止まり、誰かが空を見上げ、誰かが膝をついた。
祈るつもりはなかった。
信じる準備もなかった。
ただ、説明できない何かに意味を与えようとしてしまった。
それが、祈りだった。
高架の下でも、工場の前でも、狭い路地でも。
煙突街は、はじめて同じ方向を向いた。
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工房の中で、アニンは拳を握った。
司令室。戦場。見捨てられた声。
生き残ってしまった理由を、ずっと探してきた。
だが、今は違う。
「……今度は」
声は低く、はっきりしていた。
「今度は、俺が選ぶ」
命令じゃない。
保身でもない。
生き残った者の意志だった。
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チオは、目を閉じた。
評価も、点数も、誰かに見せる予定もない。
ただ、溢れてしまった。
声は震え、音は形を持たず、
それでも——確かに歌だった。
感じすぎることを、この夜だけは否定しなかった。
名前のない音が、空気を揺らす。
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マークは、装置から視線を外す。
面白そうだ、という感覚は消えていない。
だが、その奥に——初めて別の感触が混じっている。
ひとりで越えなくてもいい線、という考え。
それを、悪くないと思っている自分がいる。
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反重力スピーカーが、極点に達する。
街の祈り。工房の意志。三つの星。
重なった瞬間、空がひらいた。
破壊じゃない。救済でもない。
発射だ。
「MOONSHOT」
アニンが叫ぶ。
「MOONSHOT」
チオが続く。
「MOONSHOT!」
マークが笑って、夜を貫いた。
三つの声が重なった瞬間、世界は一段階、前に出た。
祈りは音になり、音は軌道になり、
軌道は、まだ名前のない未来を指す。
月へ行くためじゃない。
夢を見るためでもない。
世界を、もう一度信じるために。
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三つの声が、消えたあと。
工房に、静けさが戻る。
だが、それぞれの中には、消えないものが残っていた。
アニンは息を整えながら気づく。
あの戦場で止まっていた何かが、わずかに——前へ動いている。
チオは胸に手を当てる。
音はもう鳴っていない。歌も終わっている。
それなのに、空白が怖くなかった。
マークは装置から視線を外す。
面白そうだ、という感覚の奥に、
ひとりで越えなくてもいい線、という考えが残っている。
三人は互いを見なかった。
言葉も交わさない。
だが、同じものを持っているという確信だけが、確かにあった。
それは希望でも、愛でも、答えでもない。
——選んでもいい、という感覚。
それが、この夜を越えて、街へ、そして人々へと、ゆっくり広がっていくことを。
誰も、まだ知らない。
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第6章・了
第2部・了